森と街に暮らす

春から秋は長野、冬は東京の二拠点生活。主に自然、食べ物、日々の暮らしのことなど。

森を散歩していたら、泡が落ちていた。
泡?よく見たらいろんな所にある。
つついてみると、ちょっとぬめっとして糸を引いた。 

この正体は「あわふきむし」で、幼虫が自分の身を守るため泡状の巣をつくることから由来するらしい。森で暮らしていると、本当にたくさんの種類の虫に出会う。決して虫好きではないが、ガラス窓や手すりを横切っていく虫がいると、つい見てしまう。

 

去年森での生活を始めるにあたって、ヘンリー・D・ソローの『森の生活』の引用を部屋に貼った。

I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived.

森で命の本質に向き合う。 死ぬ間際に自分の人生を生きていなかったと気づくことがないように暮らす。そんな風に生きたいなと思っている。

 

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アワフキムシ。虫の姿は見えない。

 

梅仕事のこと

梅を収穫し、梅干しやシロップや梅酒などの保存食をつくる一連の作業を梅仕事という。瓶を消毒して、梅を洗って、へそをとって砂糖と一緒につけておくと、梅シロップができる。今年は図らずも東京滞在が長くなり、梅仕事の季節を東京で過ごした。

 

梅仕事を始めたのは、去年長野にきてからだった。
去年有難いことに青い小梅をたくさん頂き、梅シロップと梅酒をつけた。梅シロップは一度梅を凍らせてから漬ける方式にして、甜菜糖と氷砂糖の二種類でつくった。
今でこそなんてことない作業だが、以前は丁寧な暮らしの代名詞という感じがして、手を出せずにいた。初めての梅仕事は、拍子抜けするくらい簡単だった。

 

こうして作った梅シロップと梅酒が今年もまだ残っていて、一層色が濃くなっていた。長野に戻ってきた日、ちょっと一息入れようと思って飲んだ梅シロップがとても美味しく、帰ってきたなという感じがした。

今年は赤紫蘇シロップを作った。
初めて作ったけれど、紫蘇シロップの鮮やかな色はみているだけで元気になる。リンゴジュースと割ってゼリーを作ってみたがこれもおいしかった。

 

保存食は、短い旬を少しでも長く楽しむための知恵なんだなと改めて思う。

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赤紫蘇を煮だしているところ。しその色が水に移っていく。

 

樹齢400年の杉並木を歩く

 

戸隠を訪れた。

奥社までの道にある杉並木は、1600年代に当時千石を拝領した寺が杉を植樹したと書いてあった。樹齢は推定400年か。

人の背丈をはるか遠くに超え、20mはあろうかという杉並木を歩くと、神聖な気持ちになる。入り口から30分ほど歩いていくのだが、奥に行けば行くほど空気が冷たくなり、静謐な雰囲気が高まるのを感じる。

 

私の住んでいるところの近くにある神社もそうだが、ご神体は山そのもので、山の上に小さな社があり、人里には里宮をおいているところがある。戸隠も山自体の持つ神聖さや時間の積み重ねを感じる。

 

猫の生きる時間と人の生きる時間の流れが違うように、自然の時間の流れは人の時間の流れとまた違う長さで生きているなと感じることがある。

だからだろうか、自然に囲まれてじっとしていると、静かな気持ちになる。今日の夕食のことも明日のことも1か月先のことも10年後のことも短い時間の流れで、ただ時間と空間の中に自分が存在することを感じられる。といったら少し詩的すぎるだろうか。

 

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奥社へ行く道の途中

 

森で買い物をするとき


よく、田舎は車社会だという。それは本当だ。

私の住むところからは、駅まで徒歩1時間、循環バスは1日6便(1回600円)、天気が良ければ徒歩とシェアサイクルで1時間。そこから中心都市?にいくには電車で30分かかる。

 

私は車を持っていない。
したがって、何か欲しいなと思っても、気軽に買いに行けない環境にある。

解決方法の一つは、通販。ただ部屋ではネットが通じないので、欲しいなと思ってもすぐ検索はできない。欲しいものを思いついた時は「欲しいものリスト」を手帳に残しておく。欲しいという気持ちは、メモに書くことで一旦収まるようで、休み時間に検索しようと思ってリストを見ると、今はいらないかなと思うものが半分以上ある。

 

また、なかなか出かけないからこそ、ふらっと寄った場所で素敵なものに出会うことへの喜びもある。先日はこの土地の工房で作られたレンガ色の小さな手持ちカバンを買った。

お店の雰囲気もとても好みで、30分ほどの滞在だったがそこにいるだけで癒されるような、そんな素敵なお店だった。そのかばんを使うたびに幸せな気持ちになる。そのお店でのくつろいだ気持ちを思い出す。そういう体験を含めて買ってよかったなと思う。

 

 

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7月29日 森にきて3週間


森にきて、3週間が経とうとしている。
部屋のドアを開けると、目の前に緑が広がっている。毎朝外へ出るこの瞬間が気持ちよくて好きだ。

 

 森の生活に慣れると当たり前になるけれど、部屋には電波もないし、テレビや電子レンジもない。実は部屋にトイレもなく、一旦屋外に出てから共同のトイレを使っている。東京での生活に比べると「不便なこと」だが、不思議と不便に感じない。きっと私にとっては優先順位が低いことなんだろうと思う。

去年ここでの生活を始めたときは、森に閉塞感を感じることもあった。月1回は他市や他県に遠出していた。それに比べると、今年は外に出たいという衝動が今のところない。

本来は春から長野に来る予定だったが、4か月遅くなった。東京での予期しない都会生活の延長は、思った以上にこたえていたようだった。

今はここで静かに過ごしていることに喜びを感じる。

 

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ねむの木。香りもとても良い。